チューリップの芽吹きでドキッとさせられるのは、この力強さを見た時。
大地を割って出てくる芽の、なんと逞しいこと。
この度、息子が無事小学校の卒業式に出席できました。 数週間前には「卒業式には出たくない」と言い、式の練習にもほとんど参加できていませんでした。
反抗期の始まりからか、イライラして大きな声を上げたり、泣いたりすることも多くなり、冬休み以降はぽつぽつとしか学校に行けていなかったので、心配した校長先生から連絡を受けたこともありました。
なぜ学校に行かなくてはいけないのか?
行きたくない学校に行く意味はあるのか?
ある日の息子が走り書きした、このメッセージを見た時、もう無理強いするのはやめようと決めました。
行けばきっと楽しいことがあるよ、もうそんな生温い話ではなくなっていました。息子は懸命に戦っているところです。大人へと成長していくために何が必要で、何を大切にしていくのか。12歳はもうこんなことを考えていたのでした。
" あなたたちは今、種を蒔いて、水をやり、その芽が成長している過程にいます。慌てずにゆっくりと、自分の花を咲かせていってください "
人間の成長は、しばしば植物に例えられ、こうして式で語られることが多いですが、これほどまでに心に刺さったことはありません。
オルラヤ、ヤグルマギク、ジニア、マリーゴールド…今まで種を蒔いて育てた植物を思い返しました。寒さにも負けない強さ、逆に暑さをもろともしない姿。葉の形も花の形もそれぞれ違う。
人間という生物だってそういうものじゃあないか。見た目が男性、女性の2種類しかないから大雑把に捉えられがちだけれど、ひとりひとりが同じではないし、行き着く先も、それまでの過程も同じでなくていい。
校長先生の別れの言葉から式が終わるまで、私の目は乾くことがありませんでした。
式の後、学ランを脱ぎ捨ててたくさんの友達とブランコを漕ぐ息子を残し、私は家に戻りました。
もう一緒に家に戻らなくてはいけない理由は、見つけなくていいんだもの。