山田ガーデン

花や葉から、種まきから球根から。心地よい庭を作り上げる喜び。庭作りから学ぼう。

息子と行きたいモネの庭〜ブログ休止のお知らせ

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スーパーに併設されたお花屋さんで調達したビオラは、咲き始めはクリーム色で、咲き進むと紫色に変化してゆきます。まるで2種類のビオラが寄せ植えてあるみたい。
ビオラは明るい子供の顔に見えます。仲良しクラスの笑顔の子供たち。現実は陰口、ひがみ、脅し、そんなことがクラスの中でも渦巻いています。だから行けなくなった。息子が求めているのはきっと、ビオラのような世界。優し過ぎる子なのです。でもそんな風にはいかないことも解っているから苦しんでいる。世の中はそんなことばかりだと話して聞かせるのも違うと思うし。見つけて欲しいのです。自分で、自分の立ち位置を。


もし自分の子供が不登校になったら、無理に学校なんか行かなくていい。一緒にいろんな所に出掛けて、いろんな体験をさせてあげよう。ぼんやりとそんなことを考えていました。
それが本当に我が家に起こってしまった時、初めてそんな簡単なことではないと知りました。ゆっくり休ませてあげたいと思う反面、私自身の気持ちの整理がつかない。たくさん休んだらみんなから遅れてしまう、ますます足が遠のいてしまう。このままずーっと学校に行けなくなったらどうしよう。やっぱり親はそう思ってしまうんです。


外へ連れ出したいのですが、陽気に遊びに行けるはずがありません。学校に行かなきゃいけないと解っているのに、行けない悩みを抱えているのですから。外の世界に不安がいっぱいあるから、一歩踏み出す勇気を少しずつ少しずつ自分の中にためているところ。家でずっと過ごしているので、趣味のギターだけがどんどん上手くなっていっています。


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パリには結婚する以前に何度か旅行をしました。オルセー美術館にあるモネの睡蓮の絵は、人だかりが絶えないことからその人気ぶりが伺えます。パリから北西へ80kmのノルマンディー地方にあるジヴェルニー村に、モネが暮らした家と作り上げた庭園が保存されていて、4月〜11月の間は一般公開されています。モネの死後、庭を管理していた彼の娘ブランシュも亡くなると、庭は荒れ放題になってしまったそうですが、現在はクロード・モネ財団が管理し、当時の写真や残された植物の購入リストを基に再現をしているそうです。

<<ノルマンディー地方は「シードル」と呼ばれる林檎酒の名産地で、モネがこの家に引っ越してきた当時、庭には林檎の木がたくさん植えられていた。モネは、まずはこの木々を抜き、8人家族の食卓を潤すための菜園を造った。家族総出で土を耕し、種を蒔き、草むしりをした。その後、「花の庭」造りに、絵を描く時間を割きながらも、情熱を注ぎ込んでいく。

モネは当時流行していた幾何学的な花壇造りや、庭に置く柱や彫像などの装飾を極端に嫌った。花も野生種に近いものを好み、斑入りの葉など興味を持たなかった。モネにとって庭は自然に近いことが重要だった。1万2000ⅿ²におよぶ広大な庭の隅々まで気をくばり、花の種類、配置、全てにこだわった。モネは時間だけでなく、莫大な資産を庭に投じていた。>>

P30より抜粋


その後、土地を買い足して池を造り、睡蓮を植え込みました。その睡蓮池を描いた作品は200点を超えるといいます。きっと庭の写真を撮る今の私たちと同じような感じで、作り上げた庭の美しいひとコマをたくさんたくさん描き残したかったんじゃないかな。なんだか解るような気がします。
睡蓮の連作は、日本でも香川県地中美術館静岡県のMOA美術館、千葉県の川村記念美術館など10館以上の美術館で見ることができます。
ハイシーズンは金銭的に難しいだろうけれど、この美しい庭に行くことができるのならば、お供には息子を迷うことなく指名します。


間もなくクリスマス。クリスマスが過ぎればバタバタとお正月準備も始めなくてはなりません。1月2月はトリプルワークになるので、昨年以上に忙しい冬になりそう。自分のこと、家族のこと、これからのことを冬の間にしっかり向き合って考えたいので、約4年間書き続けてきたこのブログの更新をしばらく休止します。今まで読んで下さった皆様ひとりひとりにお礼を申し上げます。
モネのように経済的に苦しんだり、死んでしまいたいほどつらくても、庭作りをやめることはありません。冬の間も写真は撮り続けますし。またトサミズキ(土佐水木)が咲く頃、春の庭でお会いしましょう。ありがとうございました。